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石井ぜんじ

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元GAMEST編集長、ゲームライター。ゲーム制作にも関わる。ゲーセンの歴史を綴る『ゲームセンタークロニクル』『石井ぜんじを右に!』発売中。共著に『ライトノベルの新潮流』。『セガ・アーケードヒストリー』『シュタインズ・ゲート公式資料集』などで執筆。ゲーム関連ほか、エンタメ小説、アニメ、VTuberなどに興味あり

小田原市
Joined December 2011
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
ゲームに関する自著の新刊です。80年代から10年代までの7つのゲームタイトルを徹底解説。様々な時代、多様なジャンルの作品を取り上げることで、ビデオゲームの変遷と流れを感じられる内容になっています。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
ゲーセンが衰退した理由は「家でもゲームができるから」だと単純すぎる。ファミコンが出てから30年近くは健在だったので。どちらかと言えば「ゲーセンに未来がないと思ったメーカーがゲームを作らなくなったから(力を入れなくなったから)」というのがでかい。その裏には膨大な付帯情報がある。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
これはマジで世界的に見れば「ゲーセンはなぜ衰退したか」ではなくて「なぜ日本ではここまで残ったのか」というべき。でもゲーセン好きとしては誇張なく人生の一部分が失われているわけなので辛い。実は本屋も同じようなものだと思ってる。よくまだこれだけの数あるよなと。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
知人がVTuberの配信を観て面白いと思い、ゲームを買ったのだが配信より面白くなかったらしい。ネタバレしたというのではなく、VTuberのわちゃわちゃした楽しい配信をさんざん見た後、一人で黙々とやったらなんか悲しい気持ちになったとのこと。実況配信が面白過ぎる問題が冗談でなくなってきている気配
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
「アニメばかり見ている人の作るアニメはダメ」「ゲームばかりしている人の作るゲームはダメ」「ライトノベルばかり読んでいる人の書くライトノベルはダメ」 どこも大変ですな。でも「映画ばかり見ている人の作る映画はダメ」というのはあまり聞かれない気がする。
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石井ぜんじ
4 months
アメリカの国家機密でも25年程度で公開されることが多いわけなので、ゲーム関係の機密事項もさすがに20年くらい経った場合は明らかにしていいと思う。そうしないと歴史が闇に葬られるので。例えばアーケード筐体の値段、タイトルの存在そのものまで隠されていた例がある。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
これ何度も本でも書いているが、ストIIは発売と同時に対戦が盛り上がったわけではない。発売から半年はみな対CPU戦で遊んでおり、それにもかかわらずゲーセンの台がみなストIIに置き換わり満席なくらいの人気だった。それだけ凄いゲームが「対戦も」面白かったらこそ、ゲーセンでの対戦が根付いた。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
日本のゲームが海外のゲームに追い抜かれた、という感覚がわからないのは世代の違い。前提として、80~90年代のゲーム業界は世界で日本が(現在よりはるかに)圧倒的だった。その前提があっての凋落であって、そもそも昔の日本のゲーム業界が異常。
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
ゲームの難度って、かなりの割合で「気づき」にかかっている。これは単なる知識じゃなくて、「そういうことだったんだ」というヤツ。気づけないと激ムズと感じるゲームは多い。気づけばわりと簡単なんだけど、人から見ればそれは「ゲームが上手」ということになる。気づきを教えるのが本来の攻略法。
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 months
以前も書いたが、ゲームセンターによく来ている奴の中には、家庭環境がよろしくないものがいた。ゲーセンは一時的な避難所として機能していて、そこに気のおけない仲間がいたりした。若くして苦労している分、生きることに真剣だったと思う。そういう奴らを「不良」の一言で括るのはどうかと思っている
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@Zenji1
石井ぜんじ
7 years
あまりに「インド人を右に」が話題になるので、当時のライター仲間であのときどんな感じだったか聞き込み調査が行われた件。全員の意見が一致したのは、ネットの原稿画像はねつ造だということ。
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@Zenji1
石井ぜんじ
7 years
カフェイン摂取で、視覚刺激への反応が4フレーム早くなると聞いて「そんなに早くなるのか、4フレだぞ、ヤバイ、ヤバ過ぎるだろ」。そう思った自分は、ゲーマーとして普通だと思います。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
最近ゲームメーカーの方と話す機会があった。その時に出た話が「90年代のゲーム業界は日本が世界的に技術のトップを走り、シェアも圧倒的だったということ。他のオタク産業と比べてもずっとワールドワイドだった。そもそもこのこと自体が、今は知られていないというか実感されていないのではないかと。
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@Zenji1
石井ぜんじ
7 months
SNKのシルエット紹介と言えば、ゲーメストの真・サムライスピリッツのシルエット紹介を思い出す。最初は絵心のあるライターに予想イラストを描いてもらったのだが、あまりに本物に似すぎていたためボツをくらった。急遽奇妙な絵を描く画伯ライターに頼んでわけわからん予想イラストにしてもらった記憶
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@Zenji1
石井ぜんじ
9 months
80年代にゲーセンで遊んでいた学生は、「ゲームをやっている奴はろくな大人にならない」と言われる中、「勇気をもって自分でその趣味を選んだ」人が多いと思われる。覚悟決まっちゃってるから思い入れが強くなったのかもしれん
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 months
いわゆる「日本語が読めない」というやつ、単純な読解力ではなく「自分が思い込んだら疑わない」というところに問題があるような気がする。人はなかなか、よくわからないものをそのままにしておくことが難しい。最初に思いついた結論に飛びつきがち。読み返して公平に判断することが難しいのだろうなと
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 months
当時としては当たり前だが、『魔界村』はそれまでになかったホラーっぽい暗い世界観が凄かったんですよ。ゲームでこんな世界が描けるんだという衝撃があったから、何度やられても先を見たいとなった。さすがに現在だと「こんなの見たことない」とはならないし、当時の感覚を伝えるのは難しい
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
ゲーメスト誌内で使われていた安全地帯の俗称『玉置』は、メーカーから「安全地帯という言葉は禁止です」と言われて編み出された。ということは本で書いた気がする。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
これはマジな話だが、80年代中頃までのアーケードはボタン3個ついていたら「こんな複雑な操作系で大丈夫か?」という感じだった。当時はマニアを含め皆そう思っていたと思う。PS1のコントローラーが出てスタンダード(当たり前)になっていくのを見て、世の中変わるもんだなと思った記憶がある。
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
「ゲームは人生の無駄」というのは40年前、それこそ今以上に言われてたからな……。なぜ無駄じゃないか、という答えはずっと考えてきたのでいくつも持ち合わせている。ゲームで得られるものって一つじゃないんですよね。それこそ「あなたにとって人生の意味とは?」という問いと同じようなもの。
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@Zenji1
石井ぜんじ
8 years
知り合いの編集者と会ったときに話題に上がったのが、通ぶったり偉ぶったりせずに昔のゲームについて書くことって、意外に大変だということ。いつの間にか「凄いゲームについて語っている俺たちが偉い」になってしまいがち。これは表現技術だけではなく醸し出される雰囲気なので、いろいろ難しい。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
攻略ゲーマーって基本的に完璧主義者。「誰よりも優れた攻略を書きたい」という人ばかり。しかしネットのない時代とはいえ、原稿を書いてから雑誌が出るまでに攻略は劣化してしまう。つまり少しでも良い攻略を書くには、締め切りギリギリに書けばいい。するとどうなる? →誤植が増える
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 months
ゲームセンターの治安が悪かったかどうかについては、個人差(店舗差)が相当に大きいと思う。90年代以降でもマジでヤバいところがあっただろうし、80年代のうちから、小学生が一人で来ても楽しく遊べるゲーセンも存在した。なのでどちらが間違っているという話ではない。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
80年代は「ゲーセンは悪」と言われており、それに苦しんだ若いプレイヤーはゲーメストとコインジャーナルが主催した「懸賞論文」にその悩みをぶつけてきていた。それは記録として残っており貴重な資料だと思う。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
『テトリス』について軽く検索したのだが、日本における『テトリス』の人気は、1988年のアーケード版『テトリス』(セガ)の大ヒットが端緒だったという事実が見えにくくなっていると感じる。これは当時のアーケードゲーマーにとっては当たり前なのだが、権利関係の複雑な問題がそれを覆い隠している。
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@Zenji1
石井ぜんじ
9 months
1991年の第1回ゲーメスト杯ストII全国大会(表記適当)以降、格ゲーを中心に毎年のように大規模な全国大会が行われていた。ゼロ年代以降も引き続き多くの大会が行われてきたのだが、アーケード関連の大会がeスポーツの歴史認識にまるで入ってないのは問題だと思う。やはり本を作っておくべきか
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
最初の頃のゲーメストのライターは原稿料と交通費をもらっていた。交通費は編集部に来るまでと取材の行き帰りのぶん。貧乏なライターは編集部に来るくらいならゲーセンに行ってしまうので、交通費が出るのが大きかった。交通費が出たからみんな編集部に来たしそこで情報交換ができて誌面の質が上がった
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@Zenji1
石井ぜんじ
29 days
80年代後半のナムコのアーケードゲームについては、とりあえず「80年代半ばまでのナムコは素晴らしい作品を出し続けていて、メーカー自体がファンから神格化されていた」という前提を認識していないと語れない気がする。
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@Zenji1
石井ぜんじ
4 months
某雑誌に誤植が多かった要因に、ライターがぎりぎりまで原稿を上げないというのがあった。それは締め切り当日(または以降)に見つかった最新の攻略を入れようとしていたから。なぜそこまでしたかというとライバル誌があったわけではなく「全一取るにはそのくらい当たり前」という身に染みついた以下略
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
90年代に格ゲーのシリーズ物がたくさん出てきたとき、明らかに前作より進歩して面白くなっているのに人気が落ちていくのを体感した。ゲーム関係の本を作っているとそれは明確に数字で出てくる。衝撃が弱まるだけでゲームは売れなくなるものだと実感した。
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@Zenji1
石井ぜんじ
5 months
セガは80~90年代は非常にアーケードが強く、世界のトップメーカーだったと言っても過言ではない。この点は過小評価すべきでない。その関係で、セガには海外で通用したリアルタイムアクションの名作が多かった。アクション系の過去作は現行ハードでより輝く系統のはずなので、新作には期待したい。
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@Zenji1
石井ぜんじ
20 days
自分が高校時代(80年代前半)に通っていたゲーセンはデパートの屋上にあり、明るくて客層は中学生がメイン、小学生も来ていた。これだけ環境が良かったのはナムコ経営だからで、それがナムコのメーカー人気を支えているところがあった。ともあれ明るく楽しいゲーセンもそれなりの数があった。
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 months
ビデオゲームは「どのように遊ばれてきたか」というのも大事な文化だと思う。昨今は作り手の立場がだいぶ掘り起こされてきているので、自分はプレイヤー視点の記憶を残しておきたい。これは(当時は)みんな知ってる話だけに文字で残りにくく風化しやすいと思われるので。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
80年代のアーケードゲームは、1年前のゲームが時代遅れ、みたいなところがあった。進化が早すぎたし、年に100タイトル以上新作が出てきた。だからこそアーケードが面白かった。あの時代を体験できたのは幸運だった。今という時代も別の意味で面白いけど
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
格闘ゲームは勝敗に関わらず、とにかく皆が対戦したいとゲーセンに殺到した時代が少なくとも10年はあった。FPSをアーケードで出したら誰もやらず「日本では文化が違うので銃を撃ち合うゲームは流行らない」というのが常識だった時代もあった。それだけ時代によって常識と空気感は変わる。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
新声社にいたとしても、ゲーメスト本誌にほぼ関わっていない人が「ゲーメスト関係者」を名乗るのは誤解を招くのでダメだと思う。しかもそれでうかつな言動をすると、今も良い仕事をしている元ゲーメスト編集、ライター全員に迷惑が掛かるので自重して欲しい。以降は名指しで訂正せざるを得ないので。
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@Zenji1
石井ぜんじ
11 months
PS2くらいまでは、ハードの進歩によるグラフィックの進化がとにかく大きかった。説明不要なレベルで「グラフィックが凄い、やるしかない」という感じだった。しかしそれ以降は「これ以上絵を綺麗にしてどうするの」という行き詰まりも見えてきた感じ。表現の活かし方が大事な時代になってきた気がする
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
ゲーセンのゲームって、時代を遡れば遡るほど初心者に優しかった時代が思いあたらない。不親切で初見お断りのゲームが多かったというのが正しいか。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
インターネットのない時代、(スーパープレイの)ゲーム映像を残したり一般に届けるのは難しい仕事だった。ゲームビデオ制作はネットでゲーム映像配信ができるようになる前の歴史の遺物。ゲームのプレイ映像は最初、ゲームを知らない人から環境ビデオ扱い(風景の映像みたいなもの)されていた。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
80年代のゲーセンは不良の溜まり場だった、みたいな言い方は好きじゃない。そりゃそういう側面もあったかもしれないが、レッテル貼りだとも思う。ゲーセンに来ていた人は皆同じじゃない。家庭にいろんな問題を抱えていた人がいたけれど、それだけで下に見るもんじゃないと思う。ゲーセンに限らずそう
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 months
ゼロ年代のPS2時代になってグラフィックが進化が行き着いて「もうこれ以上絵が綺麗になっても意味ないだろ」となったのは事実。グラフィックの衝撃で誰もが「やるしかない」と思った時代は終わった。そのことと「現行の最新ハードから見ると20年前のグラフィックがしょぼく見える」というのはまた違う
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@Zenji1
石井ぜんじ
7 months
ゲーセンの対戦格闘ゲームの対戦プレイは、1コインですぐ終わるので極めて時間効率が良かった。しかしこれはこのシステムを考えた人が偉いのではなくて「こんな短い時間で終わるのに熱中させられたゲームが凄い」のだと思う。よほど面白くなくては「お金がもったいない」となってしまう
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@Zenji1
石井ぜんじ
5 months
その昔ある人が「どうしてもやりたい」というので、ゲーセンで『ガントレッ���』(1985年)の4人プレイに付き合ったことがある。しかし誘った奴がエルフを選び、そのスピードを活かして一人で食料を独占。皆が憤慨した。これは今思えば現在まで続く、協力プレイ仲間割れ問題の最初だったかもしれない。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
『ワルキューレの伝説』と言えば、ザ・ベストゲームのオールタイムベストの投票で1位となり物議をかもした作品。インベーダー、ゼビウス、グラディウス(II)、テトリスその他と比べ1位はないだろとだいぶ突っ込まれました。でも「その時の皆が選んだ」という事実も尊重されるべきだと思うんですよね。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
ゲーセンの不良の話、80年代前半でもデパートの屋上ゲーセンは19時閉店でマニアとお子様ばかりだったし、90年代でも対戦でリアルバウトしていたようなゲーセンもあった。まあ地域差が激しいとしか言いようがない。ただ80年代は「ゲーセン行くやつは不良」と問答無用で一括りにされていたのが最悪だった
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
80年代には不親切で難しく、意味が分からないビデオゲームが多々あった。そういうゲームはゲーセンからすぐに消えていった。このようなゲームは予選落ちという感じで、あまり話題に上ることはない(個人の思い出には残っていたりするが)。でもそれを無視して上澄みだけ見ると、認識がずれる気がする
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
アメリカだと「何でもイベントにして金儲けしよう」となる。だから興業になりやすい。日本だと「そんなことで1位になっても何の意味があるんですか、世の中の役に立つんですか」となる。なので謎の教育上の理念とか上乗せしないといけない。この文化の差はスポーツやeスポーツにも表れていると感じる
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@Zenji1
石井ぜんじ
11 months
ネットでのやりとりを見ていると、そろそろ対戦格闘ゲームの大まかな歴史を伝えていかなければいけない時代になってきている気がする。古参は「そんなの常識、当たり前」と思うものだが、最近は少しおかしい話が増えてきた感があるので。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
当時作っていたドルアーガの塔のミニコミ誌。APAPA氏、F氏と製作。宝箱の出し方はヒントのみ(自分で探してもらうため)。宝箱自力で探した勢だったので、見つけた喜びを知ってもらいたかった。
Tweet media one
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@Zenji1
石井ぜんじ
5 years
以前ネット上で「昔のゲームはアイデアさえよければグラフィックがイマイチでも通用したが、今はグラフィックが弱いだけでダメ」という意見を見かけた。でもむしろ昔のほうが「グラフィックがダメな物は問題外」だった記憶がある。どんどん進化した時代だっただけに、逆にその差が大きく見えた
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
アーケードのゲームは短い時間で緊張感と達成感をいかに演出できるかがポイント。プレイ時間が短くても満足感が高ければまたやってくれるから。だからカプコンのベルトスクロールは、1面ボスまで意図的に短くしてある。シューティングもビデオシステムや彩京のゲームはそのあたりかなり考えられている
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
ゼロ年代に業界の編集と話していたときに「日本にはゲームで競う文化が無いので外人に勝てるわけがない」的な話を聞いたことがある。自分にとっては論外な話なんだけど、今だと更に知る人が少なそう。ゲームで競う大会、イベント等の歴史など(アーケードとか)はまとめておいた方が良いかもしれない。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
イシターの復活、地元のゲーセンで真面目に遊んでいたのだが、後のマルゲ屋の店長が「こんなの適当にやればいいんだよ」と言い出して架空のパスワードを入れ始めた。わりとすぐに強いパスワードが見つかり、その後はパスワードを解析するゲームになってしまった
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@Zenji1
石井ぜんじ
4 months
80年代の末から91年くらいまで、シューティングのヒット作は一気に減る。その中に難度が上がり過ぎたという要因があるのは確かだと思う。自分はプレイヤーの立場に立つので、営業面での「3分で終わらせろ」的な考えは、少なくともシューティングに関しては無茶だったと思う。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
アイレムの『R-TYPE』はゲーメストで最初に取材した時にヒットを確信し、最初の紹介から最後の開発者インタビューまできっちり理想の記事展開を追って進めることができた。計画通りに進んだのは、当時のアイレム広報の方の尽力によるところが大きい。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
シューティングゲームがなぜうまくなれない人がいるのか、というのは80年代当時の自分のテーマだった。シューティングでもアクションでも、敵(弾)に向かって突っ込んでいく人が一定の割合でいる。それこそ動かなければ当たらないのに恐怖心に駆られてみずから動いてぶつかっていく。そんなもの
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@Zenji1
石井ぜんじ
5 years
正直言ってアーケードや家庭用にガチャが持ち込まれたせいで楽しめるゲームが年々減ってきているのが辛い。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
80年代はどの駅前商店街に行っても個人経営のゲーセンがあって流行っていたが、それを取り上げる雑誌はほとんどなかった。90年代は格ゲーが盛り上がったがテレビではゲーセンのゲームのCMが打てなかった。ネット時代の今から思えば、大人気のジャンルがマスコミから無視されるという異常な時代であった
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@Zenji1
石井ぜんじ
25 days
80年代当時、ゲーセンの読者投票で一位を取ったゲームをゲーメスト大賞として、授賞式を開いて新聞社呼んで記者会見までしたのは異例なことだったと思います。来たのは朝日新聞一社でしたけど。朝日新聞1988年1月30日に「面白いものは面白い ビデオゲームに大賞」という記事が出ていました。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
あとこれ何度も言っているのだけれど、ゲーセンは20世紀のうちに衰退していてもおかしくなかった。どちらかといえば各所の努力によりここまで持ったという印象。ヒットゲームをつないで寿命を延ばした(ゲーセンはビデオゲームだけじゃないけど)。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
80年代のゲームセンターで治安の悪いところがあったのは事実だが、それは本当に場所と状況次第。ただ楽しく遊んでいただけのゲーセンもたくさんあったし、最初は良かったが後から治安が悪くなった店もある。だが全部まとめて社会から「ゲーセンは悪」扱いされていたというのが肌感覚。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
80年代のビデオゲームは容量が少なく、1回のプレイが早く終わることが前提になっていた。それでいて何度も遊んでもらえるゲームがヒットした。つまり次にやったらもっと先に進める(長く遊べる、タイムが速い、高得点が出せる)のではないか、という希望がある。名作と呼ばれるのはそういうタイプ
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
ストIIは日本のアーケードゲームの歴史から見ると、スペースインベーダー級のビッグタイトルだと思う。家庭用も売れた。でも家庭用のRPGのみに関心があった層にとっては、そんなゲームもあったな、程度かもしれないと思ったりもする(自分は渦中にいたので分からんが
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
80年代アーケードだと、「良いゲームだし名作扱いされてもおかしくないけど売れなかったゲーム」で思い出すのは『最後の忍道』。これは本当に速攻で撤去された店が多かった。『SDI』もそう。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
ドルアーガの塔と言えば、友人とゲーセンで知り合ったのエピソードを思い出す。宝箱をとらないせいで暗くなり敵や出口何もかも見えない中ずっとプレイし続けていたのを見て、いたたまれなくなり話しかけたのが始まり。「そういうゲームだと思ってた」との返答から「こいつただものじゃねえな」と思った
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 months
80年代にゲーセンに集まって楽しくゲームやっていた奴の話をしただけで、「どうせ犯罪者だろう」といまだに言われるのは何なのだろうな。自分は一言もそんなことを書いていないのだが。結局一括りにして叩きたがるのは変わっていないと感じた。
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@Zenji1
石井ぜんじ
4 months
80年代にアーケードゲームの開発者に「なんで色違いの敵を出さないんですか」と聞いたら「できるだけ違う敵を作って出したかった」と答えが返ってきた。当時の自分の感覚は「せっかく作ったキャラ、もっと違う配置で再登場させて驚かせることもできるのにもったいない」という感じだった。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
知人と夜中に電話で話していて、「ダライアス外伝ってそこそこ難しいゲームだったよな」みたいなことを言ったら、「そんなことないですよ。攻略パターンを完璧に覚えていて、ボムを決め打ちして、連射装置が完備していれば誰にでもクリアできますよ」と熱弁された。誰にでもクリアの定義とは?と思った
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@Zenji1
石井ぜんじ
4 months
ゲーメストでは初代『ストリートファイター』が「隆」の表記で、『ストリートファイターII』以降はすべて「リュウ」の表記にしています。これは公式の資料に準拠したもの。ストII以降の作品で「隆」と表記したことはなかったはずです。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
わりと高難度と言われるゲームを遊んできているが、「ただ不親切で難しいゲーム」を持ち上げられても困るというのはある。いいかげんでは進めない、正解の精度が必要とされるゲームをやりたいのであって、理不尽な難しさを求めているわけではないので。
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 months
個人的には、80年代のうちは社会の大多数の人から「ゲームセンターで遊んでいる奴らはろくでもない」と思われていると感じていた。社会全体の偏見と断絶がなかなか凄かった。90年代は個々に見れば治安の悪いゲーセンはあっただろうが、「ゲーセン行く奴みな不良」的な偏見はだいぶ薄れたように感じる。
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@Zenji1
石井ぜんじ
5 years
「日本人なんてもともとゲームを本気でプレイする奴なんていないからな」という言葉は、2000年以降家庭用ゲームをやり始めてから仕事場で聞いた言葉。今でもネット界隈ではよく見かける。ゲーセンのハイスコアとか格闘ゲーマーのことを知らな過ぎる人が多過ぎるなと。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
僕はレバー引きのガードはボタンのガードより直感的だと思うんだけれど、最初からボタンガードに慣れた人はそう思わないみたい。特にスマブラ世代(主語がでかくてすまん)が「レバー引きのガードは分かりづらいシステム」と言い切っているのを見て複雑な気分になった記憶
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
小説をちゃんと読めてるのか、という話を聞いて、知人がいつも言っている「ちゃんと遊んでもらえれば面白いことがわかるはず、と作り手が思っているゲームはダメ」という言葉を思い出す。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
『妖怪道中記』の出た1987年あたりから、「長時間プレイをさせないために難しくしろ」という圧が特に強くなった感がある。一部のマニアも学習してきており、あまりに難しい難度でロケテストに出たりしていると「難しいまま出てしまうのでプレイするな」というお触れが裏で回っていたりした
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@Zenji1
石井ぜんじ
5 years
20年ほど前に格ゲー作ったときに、やはり永久コンボ対策というものを考えた。システム面から整備して技のフレームを表で管理してみると「これ永久コンボなんて出るわけないだろ」という感じだった。しかし実際にはさっそく永久コンボやらかすキャラ担当がいて「なるほどな~」と変に納得した
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@Zenji1
石井ぜんじ
4 months
アーケードのシューティングゲームを、大手メーカーが大ヒットを狙ってその時代の最高の技術で作っていたのは80年代後半まで。そのやり方が確実に成功したと言えるのは『グラディウスII』(1988年)くらいまでだと思う。アーケードに関しては、91年以降の対戦格闘ブームが大き過ぎる。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
昔から思っていたことは、ゲームの攻略法は結局、真剣に「このゲームを攻略したい、楽しみたい」という人に向けて書くしかないということ。結局読む人の熱意がなければ理解されない。関心を持ってもらう紹介記事も工夫を凝らすけれど、それでも「最初から意に介さない」人を念頭に置いても仕方がない。
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
明日からの数日間、ゲーメスト関連のつぶやきをしていく予定なのでよろしくです。
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
ゲーメストは80年代後半から店舗のハイスコアを集計するときに人気ゲームベスト10とインカムベスト10を送ってもらい毎月集計している。これが10年以上続いた。相対値ではあるが、数値の操作は一切していないので史料価値があると思われ。業界誌に比べて集計店舗数が多く中小ゲーセンの実態を表している
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@Zenji1
石井ぜんじ
6 years
ゼビウスもストIIも、当時は見た瞬間に「これは大人気間違いなし」と言い切れるゲームだった。後から売れた理由はいろいろつけられるしそれも大事だが、当時としては議論の余地がない見るからに凄いゲームだった、ということは言っておきたい。今は時代的に、そういうゲームはなかなか難しい。
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@Zenji1
石井ぜんじ
7 years
まったくゲームなど触ったこともない家族から、「昔日本はゲーム産業で世界一だったんだって。でも社会が認めてこなかったから、今は厳しくなってる。そうテレビ番組(たぶんNHK)で言ってたよ」とか諭されてしまいました。何と返したらいいものか
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@Zenji1
石井ぜんじ
4 years
定期)久しぶりに著者として関わった書籍が出ます。ゲーム関係者のインタビュー集です。レトロから現代、ゲームシナリオやAIと、マニアックに掘り下げます。 石井ぜんじ「ゲームクリエイター」インタビュー集 ゲームに人生を捧げた男たち 石井ぜんじ @amazonJP さんから
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
ゲーセンの治安は本当にその店次第。80年代の前半、治安の悪いゲーセンが多かったのは確か。90年代にかけて少しずつ淘汰されていく。キャロット系やデパートにあって夕方には閉店するゲームコーナーは80年代前半でも比較的治安が良かった。
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
『サムライスピリッツ』は発売前に大阪に行って取材して、「これは絶対���気出る」とライター全員の意見が一致。巻頭近くで紹介ページを取った記憶。ぎりぎりであまりページ取れなかったかもしれんが。実物見ないで記事だけ見ても、売れるゲームなのは一目瞭然だったと思われ
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 months
80年代のアーケードゲームは、都会だと1プレイ3分以内に終わってもたくさん人が来てプレイしてくれるし、プレイヤーが諦めた頃には元が取れている。ところが地方になると少しずつプレイ時間が伸びて進歩を感じさせるゲームでないとすぐ客が離れて元が取れない。これはなかなか理解されなかった気がする
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
年寄りの感覚とタイムスケールが違い過ぎるんですよね。だからこそ歴史は大事だし、常に発信していかないと事実も埋もれてしまう。
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@Zenji1
石井ぜんじ
6 years
80年代のアーケードでも、「マニア向けではなく一般にウケるものを作れ」 の名のもとに出た多くのゲームが全く売れずに終了した。なぜマニアと一般を対立させようとするのか疑問だった。一般向けとマニア受けは両立する。片方にしかウケないものは存在するが両立しないわけではない。
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@Zenji1
石井ぜんじ
6 months
日本のゲーセンでテーブル筐体が作られ普及したのは、タイトーが喫茶店に販路を持っていたこと、MPUが使われ始めて基板が小さくなってきたこと、ブロック崩しとインベーダーが流行ったことなどの理由があると思われ。マニア的には「座って遊ぶ文化」が生まれたことで「居場所」が出来たことがでかい
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
これ何度も言っているけど、『キャメルトライ』や『コズモギャング・ザ・パズル』は僕から見ると「凄いアイデアの傑作だ」となるけど、人によっては「何やってるのかわからない意味不明なゲーム」となるらしい。わからない人の感覚がいまだにわからない。人類の分岐点?がこのあたりなのかも
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
ゲーメストは一人の力でできたわけではない。すべての時代のすべてのライターと編集者、関係者の努力のたまもの。関われたのは誇りではあるが、昔のことでマウント取りに行くのは違うのではないか。ライター、編集ともにみな一癖あって見る目は厳しいから、言動には注意したいものである(自戒を込めて
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
ゲーム史って大事だと思うので、正確に、細部と俯瞰を合わせて伝えていきたい。何の役に立つのかと思う人がいるかもしれないが、ゲームに限らず「歴史」という学問は重要。
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
ドルアーガの塔の宝箱を自力で見つけたときの衝撃は、他に代えられないものがある。これは単に情報を聞くだけでは絶対に得られない感情。だから自力で見つけてもらうためにヒント集みたいなのを作っていた。今となっては無茶言うなという感じだが、それでも当時は「ただ教えればいい」とは思えなかった
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@Zenji1
石井ぜんじ
1 year
常に与えられていることに慣れている人は、大事な場所がいろんな人に支えられていることに気づかない。だから破壊的な文言になる。居心地のいい場所への感謝が「その場所を守ろう」という気持ちにつながる。何でもそうだが、「ゲームを遊ぶ場」全般についてもこれは言える。いつまでもあると思うなだよ
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
80年代のアーケードシューティングは、『ゼビウス』『グラディウス』というSFものと、『1942』『究極タイガー』などの戦争ものに二分される。明らかにSFシューティングをやっているのは若者が多く、戦争物はサラリーマンご用達であった。そんなことを思い出したりする。当時SFは新しい文化という感覚
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@Zenji1
石井ぜんじ
3 years
格ゲーでネタっぽいキャラが人気で「次回作には必ず出せ!」とさんざん盛り上がっていたのに、いざ登場すると誰も使わなかったという話を思い出す。知人と集まって話をすると定期的に出るネタ。心の底からそれが欲しいとは誰も思ってない
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@Zenji1
石井ぜんじ
19 days
アーケードの対戦格闘ゲームにおけるCPU戦の難度は、時代で変わるというよりはメーカーの考え方による差が大きい。カプコンは難度が比較的易しめで、対戦の練習ができるCPUの動きになっている。SNKは難度が高く、CPUは最適な技、行動をしようとする傾向がある。
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307
@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
『妖怪道中記』ってたろすけが竜宮城にいるときにコイン投入すると、投入音が「ヒューヒュー」と囃し立てる音に変わるんだよね。これに気づいた時には本当に細かいところまでよくできてるなと思ったものである。あのデモシーンの時にゲーセンであえてお金を入れようと思う人ってほぼいないと思う。
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305
@Zenji1
石井ぜんじ
8 months
かつて『ストII』は、ゲーセンの通信対戦台の普及によって対戦ブームに火が付いた。自分が思うに、この通信対戦台は「ここに座っているということは明らかに対戦目当てだろう」とわかることが大きかったと思う。対戦したくないかもしれないのに、乱入したり声をかけるのはハードルが高い
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@Zenji1
石井ぜんじ
2 years
やりこんでゲーセンで1コインクリアしたり稼いだりしたゲームの無数のパターンを、今はほぼ忘れている。1面もクリアできないゲームもありそう。諸行無常感ある
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@Zenji1
石井ぜんじ
6 months
1986年のゲーメスト創刊号で、すでにOLDゲームのコーナーがあります。いわゆるレゲーの概念はこの頃からあったということですね。80年代のこの当時、数年前のゲームはオールドゲーム、70年代のゲームは10年程度前でも「超古い大昔のゲーム」というイメージでした。
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