@yoshiki_takao
高尾善希
5 years
たしかに、弥生時代の銅鐸の知識なんて、個人にとって役に立つのかわからない。しかし、ある発掘現場では、工事現場のひとが「あれ、教科書でみたことがある」と感じたので、貴重な銅鐸の発見に繋がったのだという。そこでは公共の役に立っている。だから、まず勉強してみるということも大事なのだ。
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Replies

@yoshiki_takao
高尾善希
5 years
教育における「●●(教科)は必要か?」という問いかけについて。教育は公共に資すると考えられているから、特に義務教育では、個人の利益に対しても、公金の投資が多く行われている(教育費無料・教科書無料提供など)。社会が複雑化しているから、いろいろなことを「学ばされる」のだと思う。
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@yoshiki_takao
高尾善希
5 years
日本の歴史を学ぼうが、古典を学ぼうが、死にはしないだろう。一生その知識を使わないかもしれない。でも、使うか使わないかは、本人も、他人も、よくわからないわけだ。ただし、本人すらわからない多様な将来の選択肢を保証するということも教育の役割。「職業選択の自由」とも関係するのではないか。
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@yoshiki_takao
高尾善希
5 years
「教育における「●●(教科)は必要か?」という問いかけ」、無駄という意見もあるけれど、私はそうは思わない。必要性を可視化してみるのも、いいんじゃないかと思うし、各分野ごとに、存在全否定ではなく、内容を再検討してみる余地だってあるのではないか。そのために必要なんじゃないだろうか。
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