@susuharai
すすはらい
6 years
むかし哲学者の戸田山和久さんが映画の『ファイトクラブ』に出てくる主人公が、その辺の兄ちゃんに拳銃を突きつけて脅し、「お前が本当はなりたかったものなんだ?今すぐそれをやれ、おれはずっとお前をみているぞ!」というシーンが啓蒙や教育の原像だ、と言っていたのだが、おそらくそれは正しい。
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Replies

@susuharai
すすはらい
6 years
内海健『さまよえる自己』を読むと、動物から人間が立ち上がるその瞬間に、ノモス(掟)によるピュシス(自然)の殺害が起こっている、この法以前の暴力の有責性を引き受けることによって、人は意識ー主体たり得る、と読める。
@afcp_01
afcp
7 years
ここは開き直らない方がいいところだと思うけどなあ。治療も教育も、当然療育も、その本質は押し付けだし、虐待的だし、違法性をまとっているんじゃないかな。ただ一定の条件下ではその加害性が阻却されることもある、くらいに考えておくほうが無難だと思っているのだけれど。
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@susuharai
すすはらい
6 years
と同時にピュシスの亀裂自体がノモスによって補填されてもいるのだと。言い換えれば他者がいないと主体として立てないにもかかわらず/だからこそ他者そのものがものすごく有害、というむちゃくちゃ矛盾した状況に置かれていると……?
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