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名越康文 Profile
名越康文

@nakoshiyasufumi

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相愛大学、高野山大学、龍谷大学、所属。 日々の思いつきはblue sky で 、フォト日記はjumbleつぶやいています。 関心を持って下さる方はぜひ覗いて下さい。

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@nakoshiyasufumi
名越康文
14 hours
まもなくです。よろしくお願い申し上げます❣️
@chottokangaechu
渡邊あゆみ
8 days
受付中‼️ 【名越康文・心理学】講座開催 @nakoshiyasufumi 6月6日(木)19:00〜21:00@飯田橋 🌱名越康文先生による心理学講座🌱 一緒に人間の未知の可能性を探究しませんか?今だからこそ学べることがあります。 いつからでも、いくつからでも大丈夫。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
個人的にいうと、品がある人というのは縁を意識している人のこと。大切な出会いのきっかけを作ってくれた人や、その人がぽつりと呟いた言葉を忘れない人のこと。これは単純な努力ではどうしようもない。自然にその人の経験から湧いてくる周りの人への震え、畏れがなければ。震え、畏れとは感謝のこと。
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名越康文
5 years
しんどい時にはしんどいって言いましょう。私は今日は快調ですが、しんどい時は、はじめに「今日ちょっと調子悪いねん。。」と言います。それ言える人しか友達になりません。 友達とは「調子良くないねん」と言える関係。甘えてごめんね、でも甘えて癒される。
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名越康文
6 years
疲れた時にたまにやったら良いことは、目を閉じて自分の身体の奥の方に向かって「ありがとう」と呟くことだ。深い謝意を込めて、体の端にまで言葉が染みるようにするのだ。身体がじわ〜っと慰められているのを感じとれるかも知れない。時として、身体は何ヶ月も慰められていないのだから。
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名越康文
5 years
正しい事だけを言う人は何かを隠している。それは覚えておいてた方がいいよ。生きるって修行なんだから、そんなに早くゴールしている人がいるはずないじゃないか。 そうだろ。
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6 years
ええ店があったら支えるんやで。そうすると、もっとその店が好きなる。支えるからって出しゃばったり、威張ったりしたら台無しやで。 そうやってる内に、そこがかけがえのない自分の居場所の一つになるねんで。こんな豊かな人生ないねん。支えることが商いの半分。
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名越康文
6 years
人は人の微妙なところを好きになるものなんだ。だからどこが好き?と聞いても上手く言えない、言えても肝心なことはなかなか言えない。これは異性も同性も同じで、微妙だからそんなに差がないということじゃない。微妙だから、とても重要で、かけがえのない何かなんだ。雪の日にそんなことを考える。
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名越康文
1 year
長い長い訴訟が始まるね。しかも全世界で。三年前からまったく予測できたことだけれど、その時期が実際に来ると胸が締め付けられる。
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名越康文
4 years
世界には天才たちがゴロゴロ眠っている。必要なのは自信だけだ。自信とは人と異なるという自覚のことだ。異なるということが自分というものの本質だからだ。同じなら自分は無いの。そして人と違う自分を今日一日生きてみると決心すること。それを日々続けることが自信。たいそうなことでも無い。
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名越康文
2 years
よろしくお願い申し上げます。
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名越康文
5 years
完全オフの日は大切に。誰にも会わず自分に会う日。そんな時、地元カフェや喫茶店は最高の場所だよ。 知り合いやマスターと無駄話して、またすっと自分に戻れる。 そんな無責任な対話と沈黙の時間を、一番大切にして欲しいです。
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名越康文
6 years
正しいことを言う時ほど、一捻りしないといけないよ、大人ならね。でないと、相手には滅多に伝わらないから。でも、当然だ!と怒れば怒るほど一捻りが出来ない。何で正しいことを言うのにいちいち工夫しないといけないんだ!と、また怒るわけ。ここを乗り越えてお互いに大人になろう。
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名越康文
6 years
人は慰められなければなならない。たとえどんなに強くみえる人でも、慰めを必要としている。慰めとは、ねぎらい、感謝、言いわけ、励まし、様々な顔を持っているがおそらく、「あなたに会えて嬉しい」はすべての慰めの玄関である。
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名越康文
7 years
嫌になってきた頃って、チャンスがこっそり背中側に巡って来ていることがあるんよ。嫌になってきたって事は、それまでにけっこう飽きるほど積み重ねて来たってことやから。嫌になることと、向いてないこととはちょっと違う。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
通俗の心理学は人生に前向きであることを強いるが、そんな必要はほとんどない。他人の為に自分の能力を使うことをあまり面倒くさがらないこと、誰かを勇気付けたいと願っていること、人は例外なく何かに苦しんでいることを忘れないこと。例えばこれらのことの方が、ずっと重要だ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
自分が変わって行くことを恐れてはならない。それがたとえ回りの大切な人を悲しませることになってもだ。なにが正しいかは最後は自分の心だけが知っている。人が稽古しなければならないのはその声の聴き方だが、できないと慄く人は、人生を決めて欲しがるこびり付いた要請の癖を少し剥がし取ることだ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
夏は眠るのが大切な仕事になります。寝苦しさをどうごまかしごまかし眠るか。これが夏バテという大敵に挑む、地味だけど果敢なチャレンジであります。みんな頑張っていこうぜ。
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名越康文
6 years
感情的になると実は人は論理的になる、ただしその時視野は狭い。つまり相手の揚げ足とりに走る。当人は論理的で正しいのだから、それに気付かない。ただそれを見た第三者は瞬間で醒めはじめる。残るのは、その揚げ足取りに加担すると利益のある者だけになる。
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名越康文
7 years
変わりたいと思いはじめた頃、人はひたすら偶然を待つよ。脱皮するには偶然が必要。自分にとってその偶然がよく起きる空間を、師と呼ぶのね。偶然とはつまり素直になることなんだけど、心は石みたいに頑なだから、心側から見ると偶発事故みたいなもんやねん。
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名越康文
6 years
苦しい時は自分を見失いそうになるのではなく、自分を見失いそうになっていることが苦しみだよ。それは他人に今すぐ自分を分かってもらいたくて、焦っている時でもある。他人と自分には、どうしても時間差があるよ。時を経て、ひたむきに信頼を獲得すればいいよ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
毎日何か生み出すものがあれば、傷は癒えて行くよ。今必要が無くてもその日はきっと来るから、生み出す、作り出す、趣味や嗜好を持っておいてね。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
2 years
生前葬、ご焼香終えてきた朝。
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7 years
人をたとえ好きになっても、その��とんどは初めは自己愛である。相手から愛される自分の姿に見惚れているのだ。やばい、狭い、成長しないと息がつまる、と思った時に幻想が消える。でもそれを何度か繰り返す。つまり悟りはふつう複数回ある。
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名越康文
6 years
どの写真が一番好きかとか、どの絵が一番印象深かったとか、正解のないものを選ぶ遊びはとても大切だ。自分の中に『納得』という感覚が目覚めるから。この感覚だけが、最後は命を救うことになるから。
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名越康文
5 years
どんなに正しくとも、言わずもがなのことを言われると、どこかに、微かに暗い反発心が湧いて来ることが人間性の核なのだ。 そこが無意識の行動の起点であることを見抜いていないならば、その人は結局自分の言いたいことを言っているだけの子どものだ。たとえそれが100%正しくとも。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
激しい感情を用いるたびに、人は陰で落ち込む。それが相手を操作する為であったことを、どこかで感じているからだ。しかしその罪悪感を否定する為に、感情の使用をさらに繰り返す。これこそ私の本当の気持ちなのだ、と自分をもはぐらかすために。感情表出の中毒を阻止することが、自己を救うだろう。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
朝の山手線に乗って品川から新幹線。あのラッシュに乗ることがカタギのイニシエーションならば、日本は大きな舵を切るべきだな。 あれに毎日乗ることで、どれだけのビビッドな感性と愛が失われ、他人に対する無関心と怒りが無意識層に暗々と蓄積されるかを何故考えないのだろうか。灯台下暗し。
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名越康文
4 years
人は結界の中に生きている。 結界とは、人の愛のことである。 間違いなく傑作。 #ミッドナイトスワン
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
ふつう愛は「強い関心」ととられているが、愛はむしろその強すぎる関心を和らげ、包み込むはたらきをする。つまり強い関心の元は、愛を偽装した何物かである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
頭がいいって何だろう。世間は「要するに」とポイントをつかめる能力だと思っている気がします。僕はそれはどうも馴染めなくて、というのもその手の僕より賢い方とはしょっ中出くわすからです。で、僕が思う頭がいい人とは「要するに」と言いながら、それ以外の周辺を微に入り、感じ取っている人です。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
人は自分の心の中にある棘で、人間をはかり世界を見下すよ。 でも滅多に自分の心の棘には気づかない。自分の心が傷ついた時の記憶さえ、ああ、それが世界だそれが人間の本質だ、と認識してしたり顔で閉じこもる。 棘を抜くこと、つまりトラウマを解消することが新しい生き方の始まり。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
孤独だからさびしいから人に会うと、すでに相手に期待してしまってるから、会う前はハイで会ってからは怒りがこみ上げることが多い。会わずに自分と友情を深める(読書やブログ等)のも選択肢だけど、相手に心で感謝をしっかり言ってから会う、というのも方法。感謝は相手をおそれる気持ちを生むから。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
もっともどうしようもない状況から立ち直る方法は、籠ること、である。籠りには人それぞれのやり方があるが、要するに自分の中にある核=空間を信頼することだろう。籠る時間、さなぎの時間、を確保しなければならない。
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名越康文
6 years
前向きになれないなら、きちんと後ろを向くこと。前向きに臆面があるくせに後ろ向きな時は、とかく他人に難癖をつけ易い。本質に切り込むのことと揚げ足とりとは次元が異なる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
すべての人の期待に応えることは神仏でも不可能だ。というか、それをしてはいけないから神も仏も応えないのだろう。人間だけがよくそれをやろうとして苦しむ。自分の欲望は実現可能か反省することは、自分自身の願望に抑制をかけることではない。他人の欲望の奴隷になっていないかを知ることである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
呪いとか呪縛とは、何か特別なものではない。ある条件が揃うと、自動的に起こってくる感情や行動のことである。その時相手や対象になるものごとは、正常には見えなくなっている。呪いに気付たら抜けだそう。つまり、とりあえず立ち止まり、まったく違う行動をとるか、違う場所に赴くことである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
人は人に病み、人に癒される。 素敵な人に会いに行き、その側に失礼のない範囲で長く居なさい。一方で、意地が悪くあなたを尊敬してくれない人の側から、できるだけ離れなさい。自分のできる範囲でそれを心掛け、その理想に向けて決して諦めずに一歩一歩進むこと。それが幸せになるコツである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
動物が、本当に腹を空かせた時にだけ獲物を獲りに行く本気さが出るという部分を、大切に生きたい。つまりやる気は、心構えなんかより百倍状況に依存する。言葉は粗野だけど、どうすれば飢えるかという状況の設定が大切。僕の年齢になると余計にそう感じる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
苦しい時は、何を守っているのかを解剖してみる。ろくでもないものを守ろうとしていることがあるよ。価値あるものを守る時には、勇気が湧いてくるはずだから。おやすみなさい。また明日。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
2 years
けっこう重い内容ありだったのに、楽しかったーーー。見ていただいた皆様、本当にありがとう‼️
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
自分でやるとは協力者がいるということなのだが、自分でやると決心することが協力者が見つかる特異点である。この人生を変えるほぼ唯一の法則は隠されているわけではないのに、個人個人が決意してみないと経験できない。自分でやろうと決める感覚をみつけるために手取り早いのは、旅に出ることである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
何かに飢えている時だけ、感覚は桁違いに冴え始める。 冴えた感覚の中でのみ人間は、生きる実感、つまり生と死がさし迫った場所に立つことが出来る。その綱渡りがないと、返ってだまされたり、意地悪なことを考えてしまったりする。余剰エネルギーというのは絶えず淀んで、悪さをする。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
すべての言葉が優しくて正しくて、思いやりにさえ溢れていても、あまりにも矛盾が無ければ僕は近づかない。それはとても操作的なので、強い悪意を感じるのだ。その悪意とは、目的の為に人を犠牲にする善意のこと。人は無意識という土俵の上に乗っている。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
遠くを見る癖のある人は、自分と対話している。 近くには他人しかいない、遠くに自分はいる。
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名越康文
6 years
ほんとに素敵な人といる時は、独りで満ち足りている時と同じような感覚がしてくるものだ。 相手が満ち足りているから、その雰囲気に自分の身体が同調するからだろう。 そして満ち足りた感覚が動きへと転換する時、勇気が生じる。 人はあらゆる心と同調して生きる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
孤独を感じるんじゃなくて、自分のほうからきっぱり孤独になれば、勇気が湧いてくるよ。勇気という下地が広がると、アイデアや方向性が降りて来るよ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
孤独な時にはゴールを思い描くこと。近いゴール、遠いゴール、そのゴールは必ず胸踊るものを構築すること。人は自分で歩き出すんじゃない。ゴールのイメージが自分の心の預け場所だよ。 だから心は外にあるとも中にあるとも言い難い、といわれる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
実感のない言葉をできるだけ口にしない、という訓練はすべての基本として必要なことだ。語る時には、実感という綱の上を10分の1秒単位で渡る癖をつけることだ。これは他人の言葉を聞く時にも応用される。決して他人の言葉を安直な方向にまとめないこと。まとめるなら、より高みに引き上げることだ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
人間が反省するのは論破されるからではない、視野が広がるからである。自由の匂いをかげば人間は反省する。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
表現する衝動を無くしたら、静かで優しい性格になるようで、実は世界をジンジン怨みだすよ。大人になっても大人しくならないでね。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
10 months
今はみんな、生き抜くだけでいいよ。それで十分立派だよ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
8 days
自己肯定感の半分は 忘れる技術である
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
調子の良くない日は、いろいろ矛盾が自分の中に巣食っているのを、まざまざと見せつけられて凹むよね〜。そんな時は、自分はそのごちゃっとした矛盾をなんとか一つの曲に仕上げる、指揮者やと思う。どうか一つのシンフォニーになりますように、と強く祈ってから出発。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
強い人は弱い。まるで硬いものが折れやすいように。強い人が弱さを認めると見違えるほど大きくなるが、それには素直になること、つまり勇気が必要で稀なのである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
誰とも繋がらない時、初めて人は自分と繋がる。自分と繋がると、そこにあらゆる他人もいることが知れる。自分と繋がらない限り、人は孤独だ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
小さくても前に進めること。そのためには何ちゅうことなく、やる気なく、ふらっと始めることやねん。つまり自分の中のリズムを、無視するように始めること。一度台の上から下をのぞいたら、もう飛び込めないのと似てる。そのゆるやかバージョンが心にはあるねんで。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
どんな人でも大概、自分の決して気がつかないことで、悩んだり行き詰まったりしている。言われれば、あー!と一気に分かることでも、滅多に気づいてあげられない。だから言おうというよりも、人間はいつも自分で精一杯な時があるということが、いつか前提になるように。誰も自分のお母さんではない。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
人生を生き急いでいる人、つまり大半の人がもっとも真剣に考えるべきことは、やっていることが命の代償としての価値があるか、ということである。つまり休息をとることと、どのようにすれば効果的な休息になるかを考えることである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
言ったら直るという考え方は、政治やリーダシップ論では常識なのだろうか。少なくとも私が知る心理学では、言えば人間のエゴはやらない。ヒントを元に、自分で結論を得た時、人間は動き出す。その距離感を考慮して、余地やユーモアを残した指摘をする言葉は皆無である。 つまりそれでは何も動かない。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
3 months
秀逸としか言えない。。
@hacchi_nico
hacchi
3 months
舞台の日はこんな感じでした。貴重な機会をありがとうございました。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
10 months
自分が一番関心のあることには、他人はかなり無関心だ。あなたが熱ければ熱いほど、温度差が生じるんだから当たり前だ。だから初めのうちは変人上等で生き抜いてください、そう、少なくとも2、3年は。そうすればひとり2人、よく似た気の良い変人が現れることが普通です。それをなかまとも言います。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
対人関係のストレスは、究極的には『枠』の問題だ。相手を枠にはめようとする抗いが当人を疲弊させる。枠とはつまりその人個人の〝常識〟のことだ。常識はその人の嫌悪感と強く結びついているので、そこから目覚めるにはまず自分の嫌悪や恐れを意識できるようになる必要がある。これが自己分析の本丸。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
信念は挫折すると強化される。それには当然、美しい面と悲劇的な面とがある。悲劇を避ける為には、異なる思想に耳を傾ける謙虚さが必要なのだが、謙虚さがポーズで終わるのは、多くのそれが自己愛に過ぎないからだ。謙虚さを牽引するのは、一見謙虚とは似ても似つかぬ、好奇心、つまり知的興奮である。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
人が自立するためには、たくさん勇気付けられないといけないの。 言葉に、風景に、街並みに、馴染みの店に、音楽に、アートに、光に。たくさん勇気を補給できるようになることが、成熟。勇気付けられるたびに、僕たちの細胞は生まれ変わる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
気を遣っている人と観察力のある人は、僕の中で異なる集注をしている人です。気を遣っている人は自己擁護的で人を恐れていて、いつも疲れています。観察力のある人は、リラックスして目が穏やかです。そこまで違います。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
助言で考え方が変わるのは、素晴らしいタイミングと言葉との出会いだけれど、それはきっかけ。そこから1日の中のたった10分が変えられるかどうか。つまり踏み止まって自分を観察するか、また流される日々か。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
なぜ、という言葉をつぶやく背景にその人の今が現れている。なぜをイライラしながら発する時、人は人生にブレーキを踏んでおり、なぜをドキドキしながらつぶやく時、扉が大きく開かれる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
みんなが勝手なことを精一杯やって、でもお互いが響き合っていることが理想です。言葉ではこれが限界。そういうのをコミュニオンと呼んだ時代が、古代にはあったようです。形の無い繋がりを作ることが、心理学の役目だと私的には思っています。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
人間が何か遠いものや大きなものに熱くなるのは、自分に飽きかけていることが多い。どんなに成功していても飽きは来る。成功とはどこかで他人に支配されているから。そして飽きるとは心が錆びること。錆びは意識すれば五分で取ることもできる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
心とは身体を伴うところから始まるよ。身体がどう振る舞うかが、心の働きの始まりで、始まりは他には無い。社会ではなく始めに自身あり。とても単純過ぎてヤバいよ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
心の精妙な法則だと思うけど、問題解決にあまり直線的に誘うと、必ずロックが強くかかるのだ。もうこれはブレーキどころではない、ロックだ。心が論理や問題解決モードに順応するには、問題解決モードでは常に見落とされる、その人固有の「立場」を共有しなければならない。直線世界には立場がない。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
社会に絶望する必要なんてないよ。そんな大人の幻想はきっぱり無視して欲しい。そしてどうか自分にも他人にも優しく今日を過ごしてね。明るく過ごすことには、元手が要らない。せいぜい洗濯と部屋の片付けの労力くらいだよ。でもそこにすべての成功の鍵が、見事にある。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
3 years
操作されないこと、支配されないこと、何故私がこれを大切だと申し上げるのかというと、それは我々の生命力を著しく奪うからです。一時的に病状のある人は治療者に従順です。生命力が落ちているからです。支配は我々の心を病者にします。つまりこれは一種の医療モデルの拡大なのです。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
人を戒める時は、自分の中にもそれらしき種があると噛み締めていなければならない。その時初めて、相手に伝わる波長が生まれることがある。信じられなーい!では難しい。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
そう、時間こそ命。時間を自分のものにしなさい。愛してもいない者に安易に差し出してはならない。損得ではなく、自分の心が細胞が感動が、みるみるすり減って行く。治療はいつでも可能だ。自分時間を生きている人の側に居ることだ。ただそれだけでいい。自然にそのくつろぎと豊かさが伝染してくる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
沈黙とはただ黙ることではなくて、相手に語らせるために黙るのである。同時に、語られたことに対して今度は的確に話すために黙るのである。この一連の意識の集注の変化が波のように繋がると、全体性が生じる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
何かを一所懸命やることで、何かを決して見ないようにする毎日を、神経症と呼びます。今の日本は、このしんどさに溢れているのではないか。だからこの本を作りました。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
相手の話をニュートラルに聞くということは、訓練なしには成し得ない。その訓練はたった一度、深く息を吸うことである。しかし自分が正しいという頑なさは、相手の目の前で、たった一度の深い呼吸すらさせてくれない。このように人は容易く自分を、自分の筋肉を拘束する。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
身体について、精神について、睡眠時間ほど大切なものは無い。睡眠を削って成される仕事は結局人生の中で、仕事の質の低下、発想の貧困、病気や風邪の悪化となって返ってくる。 眠りの最中に、無意識の世界で発想は練られ、直感への跳躍力は養われる。 安心してゴロゴロ寝よう。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
祈る(瞑想する)順番は、先ず自分の心のわだかまりや暗さを掃除するように。次に自分の心がまるで光に満ちるように、嬉しさが訪れるように。その後に関心のある人、気になる人の心の平安の為に。終わりに全てのものの為に。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
現代人が多弁であるのは、言えないことが多くなっていることの顕れだが、肝心なのは自分にも言えないこと(抑圧されていること)が増えているからである。つまり生きる意味の喪失である。強迫的な明るさには、眩しくして本質を見えなくする効果がある。その場合、明るくなって影で一層心細くなる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
別にわけもないのに、どんな顔をして良いか分からなくて、いたたまれない時、しばらく目を閉じてみるといい。自分の内側の空間に気づけることがあるよ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
生きている限り明日は来る。明日が来るということを信じることは生きること。人は弱い。だから綺麗ごとじゃない部分で、信じる力をつけることは重要。個人に差があるとすれば、その玉ねぎの皮の根っこは、信じるという形も見返りもないことかも知れない。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
ある意味、なまけものでいることはとても大切な鍵だと思う。なまけものだから、限界を設定しない。なまけものだから、人のせいにしない。なまけものだから、明日に勝手に期待する。なまけものでなければ、他人にきつい、さびしい人生になってしまう。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
朝は時間と波長が合わず、時間とうまくダンスできないことが多いよ。身体を伸ばしてストレッチしたり、顔を冷たい水で洗うと、だんだん時間とダンスし易くなってくる。すると時間の重荷がスッと無くなるんだよ。時間は身体と心にとって、姿の見えない年上の相手のようなものやから。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
ネガティヴな感情の虜になったら、本来はそれを歌かダンスに表現すべきなのだ。見事なほどに聖なる昇華が起こるだろう。あたかもそれらの地獄が、光を得るための、焚き木であったかのように。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
既に興奮している人は、私は冷静です、とほぼ必ずいう。興奮による復讐心に支配され、より精確に相手の急所を突こうとしているに過ぎないのに。大きな感情は、かえって暗い地下水路になって流れる。つまり基本として感情には縦に二層の流れがある。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
教わることではなく、問うことが知性である。 問うとはピースを埋めることではない。 新たな経験をしたいがために問うのである。 問うとは、安心のためでも不安のためでも決してなく、 経験への深い渇きである。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
7 years
敬意とは頬を赤らめること。恥ずかしさに打ち勝って、対象の前に可憐に立つこと。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
生命を預かっているのは、医者だけではない。社長も町工場の経営者も喫茶店のマスターもバーのママも、みんなギリギリで生命を守り繋いでいる。恐い恐いだけでは二ヶ月も経てばこの国は丸焼けになるよ。本当に絶望して思い詰めてしまう人々の無限の列が、幻想と言われようが僕の心中には見えている。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
自分が善人だということを疑っていなさそうな人の意見は、今は聞くと激しく消耗するからやめとけ、というのが、僕の本音。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
主観とはつまり、今にいる気で今にいないということ。過去にとらわれ、未来を過去の写し身で見てしまい、失敗を恐れてすくむことである。しかしこれを幾度も経てその「とらわれの感覚」を覚え、それ以外のリアリティをつかむしか脱出の方法はない。道を歩く決心をした、すべての者が通る過程である。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
5 years
賢いか賢くないかは、結局相手の不合理な無意識の反発心を折り込んで、対応しているかどうかなのだ。
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名越康文
6 years
好きなものを好きと言える力を回復したいなら、森や海や田舎に行くのがすごくいいよ。そこには自然があって、自然は全体でバランスをとっていて、個々にみればどこか必ず不安定で不完全だから。そういうものの中から、この葉っぱがいい、この石がいい、この花がいいと選ぶうちに、好きが蘇ってくるの。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
人は変われる。しかしそれは自力だけでは正直無理だ。そこには触媒たる縁、が必要であるから。この縁を感じとる力を僕は宗教性と呼ぶ。これは全ての知恵と優しさの始まりである。縁を感じとる力を静かに、絶え間なく育てなければならない。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
2 years
たとえどんなに落ち込んでいても、ゴミ屑のようにみじめであったとしても、創作の意欲に満たされている時、あなたは生み出す者であり、内緒だけれど、まるで世界の王者のようだ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
こじらしている人とは時間が前に進まない人である。皆どこかでそうだが、そこに建設性が無くなると起動させないといけなくてなる。何だか起動させたくなる人をセラピストという。つまりセラピーとはどこか自然発生的なところがある。この自然発生的なタイミングを、待つことと逃さないことは重要だ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 years
世界はトラウマに満ちている。 つまり過去に縛られ、傷にうずきながらそれと知らず、今を生きていると思い込んでいる。 解決する道は、過去と和解して過去を癒し手放すことだが、それには他人の存在が必要だ。 ドラマにあった「一人にしない」とは究極そういう意味である。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
4 months
絶望している時、新しいライフスタイルがあなたを呼んでいる。鍵はただ一つ、体力を維持するべきだ。いずれ新しい扉が開かれる。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 years
心の置き場がない時には、歩くのが一番だよ。 あてどなく彷徨えば、心は癒される。 理屈は分からなくたって、対象のないものとの同調が起き始める。散歩は原初のダンスなんだよ。
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@nakoshiyasufumi
名越康文
6 months
よく僕も考えること。世界は動いている。
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